大伴氏、物部氏、蘇我氏の三大豪族

継体天皇を擁立した大伴氏。大伴金村の活躍について

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なぜ大伴氏が有力な豪族となったのでしょう。それには、こんな事柄があります。大伴金村という人物が、途絶えかけた天皇の体系を後世に繋いだのです。継体天皇の前の武烈天皇には後継ぎとなる子どもがおらず、どうしたものかと思っていたところ、大伴金村が大王家の遠い親戚とされる人を越前(現富山県)から連れて来て、継体天皇としたのです。

 

継体天皇を擁立した大伴氏。大伴金村の活躍について

 

まさか継体天皇自身は自分が大王になるなんて全く想像していなかったでしょう。しかし、その人が国のトップになってしまったのだから、大伴金村に従順になってしまうのも想像に難くありません。このへんのことは詳しく文献にも書かれていませんが、多分継体天皇を担ぐ大伴金村が武勲をあげるなどして、後継につけることができたのだと言われています。家系が途絶えてしまうかもと思われていたところをうまくやったので、継体天皇として諡されたのでしょう。

 

ところで、「日本書記」では大伴金村を悪者として扱っています。例えば、512年の任那四県割譲事件。「日本書記」に「百済の賂を受けたり」とあることから、収賄事件なのでしょう。朝鮮半島南部の任那の西側の土地を百済に寄贈してしまったのです。単なる収賄事件なのか、政治に関連した何かがあったのか、真実は闇の中ですが、もしかしたら鉄資源を保有するために百済とはうまくやっておきたい、という思惑があってこういった行動を起こしたのかもしれません。いずれにせよ、大伴金村はそれだけ重要な人物だったということです。





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