『魏志』倭人伝からわかる卑弥呼について

集団をまとめる女王であった卑弥呼

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中国が魏、呉、蜀の三国に分かれていた三国時代とは、3世紀頃のことです。『魏志』倭人伝に当時の日本の様子が書かれています。縄文時代の日本には国という考え方がありませんでした。採集、漁労、狩猟を主に行い、一人一人が独立して生活をしていました。縄文時代中期ごろに農耕もはじまりましたが、稲作がはじまったのは弥生時代になってからです。

 

『魏志』倭人伝からわかる卑弥呼について

 

稲作はみんなで協力して稲の植え付け、育成、収穫を行います。これまでとは違い、リーダーがいないとうまくやっていけません。みんなをまとめる人が必要になったのです。水稲は、田植えや刈り取りなどちゃんと時期を見て行わないと育ちません。しかし、現代のように科学的な考え方が発達していなかったので、決めごとには神事がよく用いられていたそうです。

 

つまり、リーダーとして選ばれたのはそういったシャーマニズムのような力を持っている人、神事を執り行うことが可能な人がなっていったと考えられています。この人の言うことを無視したらうまくいかなかった、この人の予言通りに田植えをしたらたくさん収穫できた、といったようなシャーマニズム的な考え方のほうが、他の国を武力で攻めたりすることよりも重要だったのです。よって神事を執り行う人は王となり、一族を統率していきました。その頂点に立った人が卑弥呼でした。





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