北山文化の特徴について
ツイート足利義満の時代が、室町時代上もっとも華やかでした。この頃の文化のことを北山文化といいますが、それを象徴する金閣(鹿苑寺金閣)は、京都の北山に義満が建設した山荘です。この北山文化の絵画のジャンルでは、水墨画が流行しました。もともと禅宗の僧侶が、禅の精神を描いたものが水墨画で、明兆、如拙、周文らが名画を後世に伝えています。
義満の保護をうけて、猿楽能を観阿弥・世阿弥が完成させます。「風姿花伝」(花伝書)は、能の真髄を書きあらわしたものとして現在でも読まれていますが、これは世阿弥がのこしたものです。
この頃、幕府は臨済宗を保護し、臨済宗の寺院の格をつけさせるために、五山・十刹の制を設けました。これは中国の官寺の制を参考にしたものです。最上位の五山を中心にいろいろな漢詩文学も登場しました。これを五山文学とよびます。
東山文化の特徴について
応仁の乱で将軍職を譲った足利義政は、権力争いや一揆が絶え間なく起こっている世の中に嫌気が差して、京の東山に山荘を建てて静かに暮らすようになります。そこに建設したのが銀閣(慈照寺銀閣)で、この時代を象徴するものとなりました。それにちなんで、この頃の文化を東山文化と呼びます。
この時代は、枯山水といって、禅の精神を表した庭園がもてはやされました。その代表的なものが、竜安寺石庭や大徳寺大仙院庭園です。絵画で有名なのは、雪舟の描いた水墨画です。また、大和絵の流派である土佐流を創始したのは土佐光信という人です。大和絵と水墨画を合体させた狩野派は、狩野正信・元信によって生まれました。
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