浜口雄幸内閣による金本位制への復帰

浜口雄幸内閣による金本位制への復帰

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田中義一が辞任したあとは、政権与党が交代するかたちとなり、憲政党と政友本党が一緒になってできた立憲民政党から、浜口雄幸内閣が誕生しました。大蔵省出身の浜口は、加藤高明内閣で大蔵大臣をしたこともある経済畑の人間でした。

 

浜口雄幸内閣による金本位制への復帰

 

1920年代というのは恐慌の多い時代で、20年に戦後恐慌、23年に震災恐慌、27年に金融恐慌と、ほぼ3年おきに恐慌が起きていました。高橋是清がおこなった財政政策によってなんとか金融恐慌は脱しましたが、それでも景気が悪いことには変わりがありませんでした。

 

そこで浜口内閣は、日本銀行総裁だった井上準之助を大蔵大臣に就かせて、景気回復に力を尽くしました。具体的な政策は三つあって、緊縮財政産業合理化金解禁を推し進めました。緊縮財政をおこなうと余計に景気が悪くなる可能性がありますが、政府の無駄遣いを無くして財政を健全にするという意味では、仕方ない部分もありました。

 

景気のほうは別の政策でよくしていこうということで、その中でもっとも注目すべきは、1930年の金解禁、要するに金本位制に戻したということです。1897年、日本は日清戦争が起きたあとに、中国からの賠償金で金本位制に変わりました。

 

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しかし、その20年後の1917年に、金輸出禁止によって金本位制ではなくなっています。第一次世界大戦によって経済が混乱し、ヨーロッパ諸国がみな金本位制をやめたので、日本もそれに従うかたちでした。

 

ヨーロッパの国々は、第一次世界大戦後、それぞれのタイミングで金本位制に戻していきましたが、日本は戦後恐慌などの影響で景気が良くならず、金本位制に戻したくても戻せなかったのです。それを、浜口内閣は金本位制に戻そうとしたわけです。

 

なぜかというと、そのほうが為替相場が安定するからで、第一次世界大戦が起こったおかげで飛躍的に伸びた日本の工業力を生かして、どんどん製品を海外に輸出していきたいと思ったのです。そのためには為替相場の安定が必要でした。





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