関東大震災と震災恐慌について

関東大震災と震災恐慌について

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高橋是清内閣の次は、1922年に登場した加藤友三郎内閣です。この頃は1920年の戦後恐慌からこちら、不況が当たり前のようになっていた時代でした。1923年8月に加藤が現役のまま急に死んでしまい、その後を任された山本権兵衛が第二次山本内閣を発足しようとした矢先、関東大震災が起こります。9月1日、首都圏を中心としたこの大規模な地震のおかげで、日本は大混乱におちいりました。

 

関東大震災と震災恐慌について

 

これをきっかけにして、今度は震災恐慌というものが起こってきます。震災が起こったため、みんな資産を失ってしまい、手形を現金に換えることができなくなって、銀行の経営が苦しくなり、中小企業が相次いで倒産していきました。現金化できなくなった手形のことを、震災手形とよびました。

 

この震災恐慌をどうにかしないといけないということで、被害地の銀行や会社を救うため、9月7日に支払猶予令(モラトリアム)を出し、9月27日に、震災手形割引損失補償令を発令しました。これは、関東大震災が起こったことで、不渡りになってしまった手形を日銀が割り引いて買い取るという制度です。

 

しかし、恐慌が相次いだため、日本銀行にとってもとても苦しい状況が続きました。そのため、この措置はあまり機能したとはいえませんでした。このように世の中が混乱しているなかで、12月に、摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)が東京・虎ノ門で狙撃されるという事件が起きました。この虎ノ門事件の責任をとるかたちで、山本内閣は総辞職することになりました。





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