律令体制とは何か?
ツイート天武が敷いた時代のルートを引継ぎ、推し進めたのが持統・文武の時代です。飛鳥浄御原令が執行され、それに則って戸籍(庚寅年籍)がつくられました。こちらは6年ごとに作られるようになりますが、元々は天智天皇の時代の近江令のもとでの庚午年籍を模範したものです。
また、藤原京が建立され、604年に遷都しましたが、こちらは初めての本格的な宮城でした。さらに701年に国家経営の基礎となる大宝律令が完成します。これは、唐の律令にならったもので、律令の律は刑法、令は行政法という意味です。ここから律令体制の構築に専念していくのですが、一体どういったものなのでしょうか。
律令体制とは、租・調・庸・雑徭や労役というような税負担を強制するかわりに、班田収受(六歳以上の男女に一生使用できる田を分配する)によって一定の広さの耕地を保障しますよ、という制度です。日本は唐の律令をベースにつくられたものということがわかります。
7世紀後半の文化は、白鳳文化といわれます。これは、年号にちなんでそうよばれています。その前が飛鳥文化、その後が天平文化ですので、間違って覚えないようにしてください。病気の皇后の身体がよくなるようにとの願いを込めて建設したのが薬師寺ですが、こちらは白鳳文化の中心になった寺院です。現在、薬師寺の東塔だけは建て替えられずに残っていますが、他の部分はどんどん建設された当時の姿に建て替えられています。
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