神仏習合と仏教文化の特徴とは?
ツイート山中に寺院を建設して、そこで修行にはげんでいたことも、新しい仏教のもうひとつの特徴といえます。山に寺院を建てるのですから、平地に建設された寺院の整った伽藍配置とは違い、お堂や塔などがつくられました。比叡山も高野山も、室生寺(女人高野とよばれていました)などが当てはまります。
日本古来の山岳宗教とその密教が結びついて、やがて修験道に進化していきます。その中心的存在となったのが、奈良県吉野の金峯山寺です。また、仏教は奈良時代の頃から、日本に古くからある神道とも一体化して、いろいろな信仰のかたちが生まれていきますが、貞観・弘仁時代には、神宮寺が神社のすぐ隣に建てられたり、寺の境内に鎮守様が祀られたり、仏に見立てた神像がつくられたり、よく分かるかたちで表面化していきます。
これが神仏習合とよばれるもので、この動きは明治維新後の廃仏毀釈運動の頃まで続きました。仏教が大きく変化した時代だからなのか、仏像のつくり方も変わってきます。奈良時代までの仏像は金属製、乾漆像、塑像がほとんどでしたが、この頃は木造がスタンダードで、とくに平安初期の仏像は、一木造といって一本の木材を彫って作成するものが一般的でした。
しかし平安中期の国風文化の頃になると、寄木造が広まります。仏教の世界観を絵画的に表現した曼荼羅は、密教文化で特に注目されているものです。そのなかでも東寺や神護寺の両界曼荼羅は特に世に知られています。
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