天台宗と真言宗の違いとは何か?

天台宗と真言宗の違いとは何か?

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最澄と空海が持ち帰った仏教ですが、どちらも平安京の中に寺院を建立することはありませんでした。最澄が持ち帰った天台宗は比叡山の延暦寺が本山でしたし、空海の真言宗は高野山の金剛寺が総本山でした。政治と宗教は分離していたことが分かります。これこそ平安時代の仏教の特徴といえるでしょう。

 

天台宗と真言宗の違いとは何か?

 

ちなみに、最澄が生きていた時の天台宗は密教を取り入れてはいませんでした。弟子の円仁、円珍たちによって最澄の死後に密教化され、天台宗の密教は台密と称されました。最初から密教だったのは真言宗で、のちに空海は嵯峨天皇から教王護国寺(東寺)を賜り、高野山と一緒に布教の本拠地にしました。真言宗の密教は東密とよばれていますが、これは東寺の東からきています。

 

とくに平安初期は、頑張れば力の弱い家柄でも出世できるような時代で、それには和気清麻呂の活躍も大きな理由になっていました。実際、和気氏の一族はそれまでと違い、わずかに力をもつようになっていました。

 

貴族や役人の子弟が学んだ大学には、貴族が自分たちの子弟のために建てた大学別曹という寄宿舎がありました。もちろんそこには勉強するための場所があり、さらに大学とは別に勉強を教えてくれる家庭教師のような教官が勤めていました。頑張れば出世できる時代だからこそ、そういった者が登場してきたのでしょう。現世利益がテーマの密教がはやった要因のひとつに、そういった時代背景がありました。





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