惣領制による武士団の成立過程

惣領制による武士団の成立過程

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武士は、白河、鳥羽、後白河天皇(上皇)の時代にむくむくと力をつけてきました。国司が徴税請負人に変化すると、税制制度そのものが変わってきます。この時代は、地方で力を持った農民や下級貴族が領地を拡大していたので、自分のものは自分で守る必要があり、治安の向上にもつとめねばなりません。

 

惣領制による武士団の成立過程

 

そこで、地方の領主らは武器をもつようになり、武士団を編成するようになりました。自分が惣領(宗家の長)となって自分の家族や家来たちを引っ張っていきました。その中でも、天皇の血筋とつながっていることから、平氏と源氏は別格で、桓武平氏、清和源氏とよばれていました。

 

まず源氏側ですが、こちらは摂関家のボディガードとして地位を得ていきました。安和の変のときに、藤原氏が陰謀を企てていると密告したのが源満仲だったように、武家としての源氏は摂関家側の集団でした。

 

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対して平氏は天皇家側の人間で、白河天皇が平家に白羽の矢を立てたのが発端です。源義親が1107年から時々院に対して反乱を起こしているのですが、このままでは自分の身が危ないということで、白河天皇は北面の武士のメンバーを強化するために平氏に目をつけたのです。

 

院の近臣(側近)として選ばれた平正盛が源義親を追討したのですが、結局、その源義親の反乱がきっかけとなり、平氏が台頭してきました。瀬戸内海の海賊を抑えて秩序をとりもどしたのが、正盛の子・忠盛です。こちらは鳥羽上皇のもとで力をつけました。

 

 

それによって、平氏は、瀬戸内海の航行を運営することなり、貿易の権利をつかみとりました。宋との貿易も取り組んだ忠盛は、のちの平氏政権における財政的な基礎をつくったともいえます。

 

平清盛は出てきていきなり力をもったように伝えられていますが、そうではありません。彼が登場する前に、白河天皇のもとで院の近臣となり、政治的な基盤をつくっていったのが祖父の正盛。瀬戸内海の海賊を平定することで経済的に安定させたのが忠盛。そういったベースがあってこそ、平清盛は権力を握ることができたのです。





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