鎮西探題と拡大する北条氏の勢力

鎮西探題と拡大する北条氏の勢力

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北条氏はますます力をつけ、御家人はどんどん貧しくなっていきました。今まで西日本は鎌倉幕府の影響力はあまり関係ない地域でした。御家人はほぼいませんでしたし、朝廷に服属する武士が主でした。このような人たちのことを非御家人とよびました。

 

鎮西探題と拡大する北条氏の勢力

 

しかし、西国の武士たちも、元寇がきっかけとなって「われらも外敵に対処するために、ある程度は幕府にお願いしておかなければ」という考えを持つようになります。その結果、西のほうにまで北条氏の勢力が伸びていくこととなり、防衛と統治を強めるために、北条一族が任命される役職の鎮西探題が九州に設置されました。

 

こうして、全国の守護の半分を北条氏が担うこととなりました。ちなみに、国内の御家人・武士たちのまとめ役のことを守護といいます。それだけでなく、例えば元寇のような緊急事態が起きたときには、非御家人も幕府は動かせるようになっていきます。

 

 

間違えないでほしいのですが、幕府が全国を支配していたのではありません。あくまでも幕府が支配していたのは御家人のみで、その支配というのも、幕府の言うことを御家人たちが聞いているだけなのです。そもそも国家というくくりの考え方がないので、御家人以外の人たちは、大寺院を頼りにしたり、朝廷に従ったり、さまざまでした。

 

こうして、元寇がきっかけとなって、北条の力はより強くなり、御家人の力は弱くなる、ということで、大きな差が生まれてバランスが崩れてきます。





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