摂家将軍と皇族将軍とは?

摂家将軍と皇族将軍とは?

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三代将軍である実朝が暗殺されたあと、将軍はどうなったのでしょう?実朝の後継将軍として、頼朝の遠い親戚である九条家から藤原頼経を迎え入れようとしたことが、承久の乱のきっかけとなりました。

 

摂家将軍と皇族将軍とは?

 

戦いに勝ったあとは、後見人として北条政子が政治をしていましたが、政子が死んだあとは、藤原頼経が1226年に第四代将軍として正式に就任しました。そのあとは、息子である藤原頼嗣が将軍になっていますが、この二人はどちらも摂関家(=藤原北家)の出身であることから、摂家将軍といわれるようになります。

 

摂関家の代わりとして、皇族の宗尊親王を第六代将軍として迎えたのは、第五代執権である北条時頼の時代でしたが、これ以降、皇族将軍が続くようになります。この時頼の政策で目を向けるべきところは、評定衆の機能をより強くするために、サポート役として引付衆を設置したというところです。これは、所領に関係する訴訟を主に担当しました。

 

また、有力御家人の三浦一族は北条氏に対抗できるただ一つの存在だったのですが、1247年の宝治合戦にて滅びました。こうして見ていくと、北条家はバランスが偏らないように考えながらいままでやってきていたのですが、後期になると、だんだんそのバランスに乱れがでてきます。元寇がそのきっかけとなりました。





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