明治時代は五つに分けて見ていきましょう。まずはじめは、1868年から1875年までの明治維新の時期。二番目は、1876年の不平士族の反乱から1885年の内閣制度創設前までの、自由民権運動の時期。三番目は、1885年から1906年の桂園時代スタートまでを指し、内閣制度の創設から初期議会の時期。四番目は...
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江戸幕府がなくなれば、武士も当然なくなるのですが、それに対して不平や反論を唱える人はいなかったのでしょうか?実は、これについてはちゃんとそれなりの補償をしたので、あまり不満は生まれなかったのです。たとえば、藩をやめて県を置き、大名を藩から切り離すのが廃藩置県ですが、このときに藩から出て行く大名からは...
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1873年には征韓論でほぼ決定していたのですが、そこに岩倉使節団が帰国します。ヨーロッパを見てきた結果、彼らは内治の要を痛感していました。「いまは植民地を増やしている場合ではない。彼らはものすごく近代化されているから追いつくのは難しいし、外国と対等に渡り合っていくには、まずは国内の政治体制をしっかり...
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じつは、岩倉使節団の一員であった木戸孝允も、新政府をやめています。1874年、琉球を日本に帰属させようという動きのなか、台湾出兵(征台の役)が起こります。内治の要を優先していた木戸孝允は、征韓論のほかにこれにも反対していて、筋はしっかり通っていたのですが、結局政府をやめることになりました。これで、明...
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