不平士族の反乱とは?
ツイート遺欧使節団が帰国したあとの1873年に、秩禄奉還の法が出ます。どういったものかというと、希望する者には、秩禄支給をやめるかわりに、まとまった一時金を渡すというものでした。
たとえば、なにか商売をはじめたいと思っている人にとっては、毎年百万円ずつもらうより、まとめて一千万円もらったほうがいいかもしれません。秩禄を少しずつ減らしていこうという考えから編み出された政策でした。
秩禄を有効に使うために韓国を攻めようと考えたのは、征韓論を唱えた人たちでしたが、それに反論した人たちは、逆に秩禄の削減の方法を考えたわけです。それでも、秩禄の削減は三分の一程度しかできなかったので、1876年に、秩禄処分といって、秩禄を完全に無くしてしまうかわりに、金禄公債証書を支給しました。これは、「あとでまとまったお金を渡します」ということが書かれた証書のことです。
同時に廃刀令が出て、士族は刀を取り上げられてしまいます。廃刀令と秩禄処分が同時に発令されたため、武士の特権がなくなってしまい、それに不満を持った武士たちの反乱がいろいろなところで起こるようになりました。これを不平士族の反乱といい、その中でも最も大きなものが、西郷隆盛の西南戦争でした。
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