松方財政と日本銀行設立について

松方財政と日本銀行設立について

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大隈重信が政界をやめたあと、薩摩の松方正義が大蔵卿に就任して、デフレ政策(松方デフレ)をおこなっていきます。まず、インフレ対策として、西南戦争のときにばらまきすぎた価値の無いお金を回収するために、政府の収入を増やすために増税をおこないます

 

松方財政と日本銀行設立について

 

それと同時に、軍事費以外ですが、緊縮財政を徹底させます。せっかく回収したお金を、またしても世の中に戻すわけにはいきません。ややこしいのですが、その頃、お札を作っていたのは国立銀行といって、国立と名のついた民間銀行でした。1882年に、お金を回収するとともに日本銀行を設立します。

 

その10年前の1872年に、国立銀行条例というものが渋沢栄一を軸に公布されていたのですが、これはアメリカのナショナルバンクを元にした制度で、「ナショナル」は「国立の」という意味があるので、国民が設立した銀行という意味をもたせ、国立銀行になってしまったのです。

 

要するに、お金を発行するには、その裏づけとなる金や銀などの財産が必要になるので、民間の資本で兌換紙幣を発行するために、国立銀行をつくったのです。明治政府は貧乏だったので、民間の裕福な人にお金を発行する作業をお願いしようと考えたわけです。

 

その頃は、全国に百五十三行も国立銀行が設立されていました。政府は自分たちでも独自の政府紙幣を発行していたため、お金を発行する窓口が非常に多すぎたのです。それを政府紙幣と日本銀行の二つのみにまとめたわけです。

 

日本銀行が紙幣を発行しだしたのは1885年からですが(銀兌換紙幣)、その次の年から、国内の貨幣の規準を銀に定めるという、銀本位制が定められました。





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