天平文化の特徴・特色のまとめ

天平文化の特徴・特色のまとめ

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ここで、奈良時代の文化について、知っておきましょう。奈良時代はとても仏教色の強い文化でした。前に説明したとおり、聖武天皇を代表に、この頃は仏教をバックに鎮護国家を推し進めていたので、そうなるのは当たり前でしょう。

 

天平文化の特徴・特色のまとめ

 

天平文化という名前は、聖武朝の年号に由来しています。その中心的な役割を果たしていたのは、総国分寺として建立された東大寺です。何度も繰り返し戦の炎にのまれてしまった東大寺の本尊、盧舎那仏は、造られた当時の面影は消えてしまっていますが、ほかにも数々の天平仏の傑作が残されています。法華堂(三月堂)の不空羂索観音像、その傍らに控える日光月光菩薩像、執金剛神像、戒壇院の四天王像などがそうです。

 

正倉院宝庫(校倉造の建物)には、鳥毛立女屏風や御物などの、聖武天皇の豪華な遺品の品々が置かれています。唐招提寺は天平文化の代表的な寺院ですが、こちらは唐から招致された鑑真が建設したもので、名前はそこからつけられています。ここでは鑑真和上像がよく知られています。

 

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ほかに天平文化を語る上ではずせない寺院には、興福寺があげられますが、こちらは藤原氏の氏寺です。誰もが知っていると言っても過言ではない阿修羅像は、この時代の作品のなかで特に際立っています。

 

この頃の仏像には二種類あって、乾漆像と塑像に分けることができます。乾漆像は漆を乾燥させて固めた仏像です。漆はすごく高価なものでしたので、重要な仏像にこの技法を用いることが多かったようです。塑像は粘土を塗り固めたものですので、もっと一般的なものだったと考えられています。

 

 

天平の頃の仏教は、学問的な性格が色濃く出ています。どういうふうにして鎮護国家を実現していくかを寺院が研究していて、その中心にあったのが東大寺でした。また、南都六宗という6つの研究グループに分かれていて、それぞれ三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗と呼ばれています。

 

ちなみに南都とは平安時代以降に呼ばれるようになった名称で、旧平城京のことです。平安京から見て南にあったことが由来です。





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