ABCD包囲網とは?

ABCD包囲網とは?

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なぜ日中戦争が長期化しているか考え、その原因が援蒋ルートにあると思った日本軍は、それを遮断するために南進政策をとり、北部仏印(ベトナム北部)まで進み、そこに留まりました。日本に南進されると連合軍側は困るので、アメリカ、イギリス、中国、オランダの各国が手を組み、日本に対して経済封鎖を強くしていきました。これを、各国の頭文字をとって、ABCD包囲網とよびました。

 

ABCD包囲網とは?

 

その一番最初の動きが、アメリカがおこなった1939年の日米通商航海条約の廃棄通告で、日本がこのまま南進政策をとりつづけて中国を侵略していくなら、日米通商航海条約を廃棄するぞ、と迫ってきたわけです。

 

この通告に対して、日本側は「まさか廃棄などするはずがない」と甘くみていたのでしょうが、通告に応じなかったため、1940年に本当に条約は廃棄されてしまいました。時を同じくして、ほかの国々もどんどん経済封鎖をしていくため、日本に海外からの物資が入ってこなくなってしまいました。

 

特に、オランダからの物資が絶たれたのが痛かったのです。なにしろ、オランダは石油がゴム、アルミニウムの原料であるボーキサイトなど、天然物資を多く持っていた現在のインドネシア(オランダ領東インド)を支配していましたから。

 

 

アラブの国々から日本が石油を輸入するようになったのはおもに戦後のことで、この頃はインドネシアやマレー半島から輸入することがほとんどでした。アメリカは、在米日本人の資産凍結や、日本への石油の輸出禁止などの政策を推進していきます。

 

そこで、日本はこれらの資源を集めるため、オランダがドイツに降伏し、イギリスも危機的状況にあったところを、そのすきをつくように、1940年に北部仏印進駐、1941年には南部仏印進駐と、南進政策をどんどん進めていきます。





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