対華二十一カ条の要求の内容とは?
ツイート戦争がはじまると、三国同盟だったイタリアが、ドイツ主導の帝国主義に嫌気がさして、連合国側にまわってしまいます。最初、アメリカは中立の立場にいたのですが、ドイツがはじめた無制限潜水艦作戦がきっかけとなって、参戦に転じました。
その時世界のほとんどの国がドイツの敵となっていたため、ドイツは潜水艦で敵の国籍を見ないまま攻撃をするようになり、アメリカの船まで被害を受けてしまいました。そのため、無視できなくなったというわけです。
連合国にアメリカが加わったことで、三国協商側が圧倒的にリードをして、第一次世界大戦は連合国の圧勝に終わりました。第一次世界大戦は、ヨーロッパで勃発した、ヨーロッパ諸国同士の総力戦といえるでしょう。これになぜ日本が参戦したかというと、中国での利権を拡大しようとしている日本にとって、ドイツから利権を奪える最大のチャンスだと思ったからです。
スポンサーリンク
実際に、山東半島にあるドイツの租借地であった青島や、赤道以北の南洋諸島の一部を占領できました。さらに、1915年に、アジアからヨーロッパ諸国が目を離している隙に、中国に対して、高圧的な二十一カ条の要求を提示しました。
これの内容としては、ドイツから奪った山東省の権益を日本が引き継ぐこと、旅順・大連の租借期限を延ばすこと、中国最大の製鉄会社(漢冶萍公司)を日中合同事業にすること、といったところでしたが、袁世凱をトップとした中華民国は、ほとんどの要求を受け容れました。これにより、中国国内の反日運動はさらに激しさを増しました。
日本はこのあと、1916年に第四次日露協約、1917年に日英覚書(日本の権益継承の確認)、アメリカと石井・ランシング協定をそれぞれ結び、第一次世界大戦の時に日本がやったことを、結果的にアメリカ、イギリス、ロシアに認めさせました。
日本が中国に進出することに対してアメリカは批判的でしたが、ここはお互いの利害を比べてみることで、アメリカの門戸開放・機会均等を日本が認めるかわりに、日本の特殊権益を認めてもらったのです。この時の「門戸開放・機会均等」とは、アメリカも中国に自由に進出していいですよ、という意味です。
イギリス・アメリカ・ロシアが当時の世界の三大国でしたので、国際社会の力関係で生き抜いていくには、イギリス・アメリカ・ロシアを味方にする必要がありました。逆に、この国々が認めれば、反発する国は世界中に存在しなかったのです。
こうして日本は、第一次世界大戦で獲得した権益を確かなものにしたのです。
あわせて読みたい記事
ツイート