皇親政治

皇親政治について記事一覧

天武天皇の正体とは?皇親政治について解説

天武天皇・持統天皇・文武天皇の三代天皇が飛鳥時代第四期です。実質的には、ここより奈良時代が終わるまでは天武系の時代といえるでしょう。天武天皇は皇親政治・・・すなわち皇族中心の体制である政治を目標としました。そこで、皇族が中心の新しい身分制度が確立されました。684年に制定された八色の姓です。八色とは...

≫続きを読む

つなぎ役となった持統天皇

天武天皇には、皇后との間に生まれた草壁皇子がいました。順当にいけば、天皇の死後は、この皇子が跡を継ぐはずでしたが、病弱だったために、天皇はつとまらないと判断されました。奈良時代頃までは、神道の儀式をおこなう人という意味合いがあったので成人男性でなければ天皇にはなれませんでした。最初の女帝である推古天...

≫続きを読む

律令体制とは何か?持統・文武天皇の政治について

天武が敷いた時代のルートを引継ぎ、推し進めたのが持統・文武の時代です。飛鳥浄御原令が執行され、それに則って戸籍(庚寅年籍)がつくられました。こちらは6年ごとに作られるようになりますが、元々は天智天皇の時代の近江令のもとでの庚午年籍を模範したものです。また、藤原京が建立され、604年に遷都しましたが、...

≫続きを読む

大宝律令を作り上げた藤原不比等

大宝律令をつくりあげてきた人物ですが、責任者としては刑部親王があげられますが、実際作業をしたのは中臣鎌足の次男である藤原不比等という人です。中臣鎌足は独裁政治で有名な天智天皇が唯一信頼をよせていた人物ともいわれ、政治顧問役としても活躍していましたし、中大兄皇子(天智天皇)と一緒に蘇我氏を退け、大化の...

≫続きを読む