院政を始めた人物である白河天皇

院政を始めた白河天皇

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この頃は百何十年と続いた摂関政治体制のおかげで、天皇のサポートには必ずといっていいほど関白がつきました。一旦それが当たり前になってしまうと、なかなかなくすことはできないのです。後三条天皇の子である白河天皇が次の天皇として即位しましたが、例にもれず補佐役として関白がつきました。

 

院政を始めた人物である白河天皇

 

天皇がいくら自分だけでがんばろうとしたところで、藤原氏の摂政がつき、関白がサポートとしてついてしまえば、そこから先は好きにはさせてもらえません。藤原氏の思い通りにならざるを得ない状況でした。

 

そのスパイラルから逃れるために、白河天皇が編み出したのが院政という手法でした。どういう策かというと、まず白河天皇は1086年に息子に天皇の位を譲ります。子どもの堀河天皇は、その頃はまだ政務などとれない八歳でした。

 

 

そこで、摂政・関白に出しゃばらせないために、白河天皇は院庁を設けて、上皇という立場から現天皇の補佐にまわることにしました。当たり前ですが、摂政と前の天皇では、前天皇のほうが偉いので、こういったことができるのです。

 

院政とは、このように院庁から上皇が政務をとる形態のことをいいます。上皇の御所が院政の院に当てはまりますが、いつしかそこから、上皇自身のことを示すようになりました。





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