蒙古襲来

蒙古襲来記事一覧

文永の役による元寇(蒙古襲来)とは?

第八代執権である北条時宗の時代に、ある重大な事件が勃発します。それが、蒙古襲来(元寇)だったのですが、その対応に時宗は悩まされ続けることになります。12世紀末から13世紀はじめに日本では鎌倉幕府ができていますが、それと同じ頃に、中国大陸では、モンゴル帝国がチンギス・ハーンによって成立しました。その孫...

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弘安の役による元寇(蒙古襲来)とは?

蒙古は一度のみならず、そのあともまた襲来してきますが、今度はまた様子が違いました。中国の南宋が1279年に滅亡します。元をモンゴル民族が建国すると、宋は南へ追いやられ、そのうち滅びてしまい、元の領土の一部に組み込まれます。その2年後である1281年に弘安の役が勃発しますが、これが二度目の元寇です。一...

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鎮西探題と拡大する北条氏の勢力

北条氏はますます力をつけ、御家人はどんどん貧しくなっていきました。今まで西日本は鎌倉幕府の影響力はあまり関係ない地域でした。御家人はほぼいませんでしたし、朝廷に服属する武士が主でした。このような人たちのことを非御家人とよびました。しかし、西国の武士たちも、元寇がきっかけとなって「われらも外敵に対処す...

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得宗専制政治の反乱による霜月騒動

そもそも鎌倉幕府の中では、執権がずば抜けて強い力を持っているということではありませんでした。というか、有力な御家人と執権の身分差は、それほど変わりませんでした。この中で別格なのは将軍のみ(殿上人といって、内裏の清涼殿に昇殿を許された人のこと)で、執権、連署、評定衆、有力御家人があまり格差のない立場で...

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鎌倉新仏教の特徴・特色と禅宗について

皇族・貴族から武士へ、政治の主体が変わっていった鎌倉時代では、文化面でも飛躍的な発展を見せました。とくに仏教はますます庶民層に広まり、新しい教団がどんどん生まれました。天台宗の比叡山延暦寺で学んだ人の中から、たくさん鎌倉新仏教を創設する人が出てきます。そこで根幹である「法華経」を読んでいると、当たり...

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