武士は、白河、鳥羽、後白河天皇(上皇)の時代にむくむくと力をつけてきました。国司が徴税請負人に変化すると、税制制度そのものが変わってきます。この時代は、地方で力を持った農民や下級貴族が領地を拡大していたので、自分のものは自分で守る必要があり、治安の向上にもつとめねばなりません。そこで、地方の領主らは...
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1156年に、保元の乱が起こります。鳥羽上皇が死去したのをきっかけに、崇徳上皇と後白河天皇のふたりのどちらが院政をおこなうかについて揉めたのです。この後白河天皇と崇徳上皇は兄弟で、鳥羽天皇の息子です。ちなみに、上皇のほうがお兄さんです。どちらの味方をするかで、源氏は義朝と為義・為朝、平氏は清盛と忠正...
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平清盛は高倉天皇に自分の娘である徳子を嫁がせて、二人のあいだに生まれた子を安徳天皇として立てます。着実に天皇家とのつながりを強くしていった清盛ですが、このとき事件が発生します。1177年のことで、鹿ケ谷の陰謀とよばれています。これは清盛が太政大臣に就いてからきっかり10年後に起こったことで、平氏を倒...
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強引な策で一気に権力を自分のものにしようとした平清盛ですが、そうはうまくいきません。1180年の2月に安徳帝が即位しましたが、その2ヵ月後の4月には、後白河天皇の子どもの以仁王が平氏打倒の令旨(天皇以外の皇族が出した文書)を発足したことをきっかけに、治承の乱・寿永の乱、つまり源平の争乱が勃発します。...
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ここで、院政期の文化に注目してみましょう。この頃は各地に阿弥陀堂が建設されるようになりましたが、国風文化で流行った浄土教が、地方まで広まっていったからです。たとえば、藤原清衡が建てた中尊寺金色堂はいまの岩手県で建立されたものですし、白水阿弥陀堂(願成寺阿弥陀堂)は福島県にあります。ほかにも大分県の富...
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