近衛内閣は、はじめのうちは日中戦争に対して、不拡大方針をとっていましたが、途中からはむしろ推し進めるようになります。なぜかというと、第二次国共合作によって、中国で共産党と国民政府が手を組んで、抗日民族統一戦線を提唱しだしたからです。これにより、日中戦争の大義名分にさらに意味が出てくるわけです。要する...
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近衛内閣が退陣したあとは、平沼騏一郎が組閣しますが、国内の事情も、対外的にも、米英と対決する気満々といった感じでした。まず、民間企業の初任給を政府が統制するために、賃金統制令を出しました。その他に、国民徴用令を出して、国民を軍需産業に動員できるようにしました。このように、国家総動員法に沿って、着実に...
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1939年に阿部信行内閣が発足しますが、この年の9月、ドイツがポーランドを侵攻したことをきっかけに、第二次世界大戦が勃発しました。陸軍大臣であった阿部首相ですが、世界大戦に関しては不介入の方針をとりました。米英と対立が激しくなることを心配して、ドイツには追随しませんでした。しかし、消極的な態度をとっ...
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米内内閣が総辞職したあと、第二次近衛文麿内閣が誕生しますが、1940年10月に大政翼賛会を発足させました。ヨーロッパではドイツが連戦連勝をしていたので、日本もそれにならって強い国になろうという新体制運動が起こります。この運動を実現させるためにつくられたのが大政翼賛会という組織で、ドイツのファシズム政...
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なぜ日中戦争が長期化しているか考え、その原因が援蒋ルートにあると思った日本軍は、それを遮断するために南進政策をとり、北部仏印(ベトナム北部)まで進み、そこに留まりました。日本に南進されると連合軍側は困るので、アメリカ、イギリス、中国、オランダの各国が手を組み、日本に対して経済封鎖を強くしていきました...
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1940年9月に、日独伊三国同盟が結ばれました。これはアメリカを仮想敵国とする同盟です。この頃はまだ、日本にとってソ連は敵ではありませんでした。日本が邪魔に思っているのは、援蒋ルートをおこなっているアメリカやイギリスなのです。そこで日本は、1941年に、松岡洋右外務大臣によって、日本はソ連とは戦争を...
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太平洋戦争が始まったばかりのころは、奇襲攻撃をすることが多かったので、日本の思い通りに戦況が動いていました。戦争が始まって半年経たないうちに、東南アジアの大部分を占領することに成功しました。ただ、大東亜共栄圏の考え方を前面に押し出して、そのもとで各国の独立勢力が結託して自分から動き、それに日本が協力...
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東条内閣が退陣したあとは、小磯国昭内閣が誕生しました。この頃になると、日本本土へ米軍機が空襲しにくるようになります。絶対国防圏が侵されてしまったとなっては、もうどうにもなりません。米軍の空襲は、軍需施設の破壊を目的としていました。しかし、都市部になると、一般住宅まで無差別に攻撃を受けることになります...
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