平安時代の前半は平安貴族の時代で、後半は武士と院生の時代です。このように二つに分けることのできる平安時代ですが、現在はここが古代と中世の境目とされています。さらに前半部分は3つに分けることができて、1つ目が平安遷都の時代で、8世紀終わりごろから9世紀前半まで、2つ目が藤原北家が猛威をふるう時代で、9...
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道鏡が影響力を持った時代に、九州の果てまで流され、名前まで変えられてしまった和気清麻呂でしたが、返り咲きを果たし再び歴史上に名を上げてきました。この和気清麻呂が平安遷都を強く提案しました。藤原種継が長岡京に都を移そうと中心になって活動していましたが、彼が暗殺されてしまったので、みんな怖がってしまって...
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平城天皇は桓武天皇の次に登場しました。役所の統廃合など、幾つかの行政改革を実行した平城天皇でしたが、病気を理由に3年という短い期間で退位し、809年に弟の嵯峨天皇に位を譲りました。平城天皇は皇太子の時代から、長岡京遷都を指揮した藤原種継の娘、薬子をとても愛していましたが、この女性にはスキャンダルがつ...
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ここで「宮」と「京」の違いについて、もう一度見直しておきましょう。都とされていたとき、例をあげると孝徳天皇のときに難波に都をうつしたことなどがあげられますが、ここでは難波(長柄豊碕)宮といわれていました。その他に近江も宮、飛鳥も宮でしたが、藤原京は京と表現されています。「宮」とは、大極殿やそのまわり...
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中央政治の強化と整備が行われたのは、嵯峨天皇の時代です。安全な都づくりをテーマに、検非違使を配置して平安京内の治安を保ったり、裁判をおこなったり、「弘仁格式」がつくられ、法律を整えるなど、嵯峨天皇は色々と考えました。時代にあわないところもいろいろ出てきていた律令ですが、制定からすでに100年もたって...
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ここで、平安時代初期の文化と、その少し先の時代について見ていきましょう。この頃は新しいかたちの仏教、つまり密教とよばれるものがとてもはやった時期です。嵯峨天皇とそのあとの清和天皇の代の年号を合わせて、弘仁・貞観文化とよばれています。奈良時代の反省から、平安時代のはじめごろは、政府は奈良時代の寺院を移...
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最澄と空海が持ち帰った仏教ですが、どちらも平安京の中に寺院を建立することはありませんでした。最澄が持ち帰った天台宗は比叡山の延暦寺が本山でしたし、空海の真言宗は高野山の金剛寺が総本山でした。政治と宗教は分離していたことが分かります。これこそ平安時代の仏教の特徴といえるでしょう。ちなみに、最澄が生きて...
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山中に寺院を建設して、そこで修行にはげんでいたことも、新しい仏教のもうひとつの特徴といえます。山に寺院を建てるのですから、平地に建設された寺院の整った伽藍配置とは違い、お堂や塔などがつくられました。比叡山も高野山も、室生寺(女人高野とよばれていました)などが当てはまります。日本古来の山岳宗教とその密...
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